想像以上のロングラン
すっかり話題からは離れていますが今でも熱心なマニアは続けているようでネットの力とメディアの力の偉大さを感じる流行であったと思っています。
これが町おこしや地域おこしとなぜ関係があるのか?と言えば日本国内の人的移動をソフトウェアだけで行って見せたというところにあります。バイクのライダーの間で有名な「ダムカード」ですら実際のカードを印刷する必要があったのですからゲーム機、またはスマホであれだけの人口移動を引き起こしたNintendoの凄さがわかるというものです。
ポケモンNGエリアが意味するもの
実際のゲームの展開はさておき、今でも京都や鎌倉、そしてそれ以外の旧所名跡では「ポケモンGO禁止」の看板が目に付きます。もともと人が集まるエリアにとってはゲームで人を集めるメリットは感じないのでしょう。実際、その場所の美しさや四季折々の風光明媚な風情を楽しむ人たちからすれば迷惑千万な話なのかもしれません。恐ろしいことに見学に拝観料を取るような寺社に普段なら入らないような人たちまでポケモンGOのためなら拝観料を払って入ろうとしたということです。これはもう本末転倒と言わざる負えず、拝観料を設定した寺社もさぞ泡食ったことでしょう。良し悪し以前に「趣旨と異なる」ことを理由に早々に「禁止令」を出しました。
誰もいないエリアほど
しかしこう言ったイベントでもない限り一年通して人っ子一人現れないようなエリアにとってはこれはもう願ったり叶ったりのイベントでした。情報を流すといえば店に人が立ち寄り、空腹に対応するために駄菓子や軽食を出せば売れ、ゲームをプレイしない人からすれば「天の御恵み」状態であったのは間違いないでしょう。しかし全ての流行と同じく時が過ぎれば元の閑散としたさみしい地元に戻ってしまったことは致し方のないことと言えるのではないでしょうか?
一過性の凄まじさ
今後、こういったパターンの流行は必ず出てくると思います。一過性であればあるほど人の集まりは激しくなり、瞬時に集まり瞬時に消えることとなります。その状況の良し悪しを話し合う必要はありませんが、流行の途中から地元は志向を変える必要を余儀なくされるのは間違いないでしょう。しかしそもそも人がいない場所。いきなり志向を変えても人が集まったままになるとは思えません。むしろ天の恵みが大きければ大きかったほどその反動も大きく、下手をしたらテレビで取材されたラーメン屋さんのように半年後には消え去る運命を背負ってしまいかねません。
原因のない成果ほど怖いものはありません。自分で作れない波に乗るときは注意して乗りましょう。
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