エコブームの行くえ
エコという言葉が流行ってずいぶん時間が経ちました。当初「エコロジー」と「エコノミー」を勘違いして「ケチ」と認識した人も多いのではないかと思います。しかし311以降本当にエコロジーな生活の必要性に目覚めて帰農した人も多いようですね。
スポンサーリンク今の時代エコロジーといえば風力発電、太陽光発電、バイオディーゼル、コンポストなど様々なシステムが導入されています。どれ一つとっても20世紀から比べればはるかに経済的で先進技術がふんだんに盛り込まれていますね。しかしよく思い出して欲しいのですがそんなにお金や手間をかけなくても江戸時代にはもっと様々な領域でエコロジーが導入されていました。
江戸時代のエコ
江戸時代にはトイレの専門の汲み取り業者がいました。その人の名を「弾左衛門」と言いまして代々その名称を襲名していたのです。今の歌舞伎役者やお能の世界と同じ世襲システムだったのです。その人たちは江戸の長屋を回り大家から手間賃をもらいトイレを組み上げて回収しました。そしてそれを関東近郊一円にわたり大きな農家に売り歩いていました。もちろん肥料として販売しているのでそこでもお金がもらえます。つまり右から左、左から右の両通行型のビジネスだったわけです。当時はそれがとても儲かり幕末には幕府から弾左衛門に借金の申し出が度々あったと文献に残っているくらいです。
モテた職業は金持ち
また江戸時代に最高にモテた職業の一つが「藍染や」です。いわゆる衣服を植物の「藍」で染める仕事ですね。もう手が「真っ青」になるほど仕事をしている人は花街に行っても金払いが良くてたいそうモテたと言います。ではなぜ「藍染や」が儲かったのかといえば藍染は元々発酵技術でした「藍」を発酵させた微生物で衣服を染めるのです。例えば木綿の布をそのまま使うと10年でボロボロになってしまいました。それを藍染にすると100年も使えたのです。さらにその100年使える「藍染」を定期的に糸を外し布の状態に戻しノリの効いた水ですすぎ、雨戸に貼り付けて直射日光に晒すと「アイロンをかけた」ような状態になり新品のごとくくれたと言います。この際に直射日光と「藍」の相性が良くさらに生地の持ちが良くなったそうです。
今一度本物のエコを
こういった当たり前の生活の中に大量のエコロジーが含まれていた日本の歴史ですが明治維新以降西洋文明の流入により消えていってしまいました。今一部の人たちがそういった文化を取り戻す活動を行っていますがまだまだ当時の面影にも及びません。
今後のエコロジーはやはり江戸時代のように完全循環型の生活が基本になるのではないかと思います。
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