ふるさとRe:Boot研究所

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20世紀の農家の始め方

約3分
20世紀の農家の始め方

20世紀に新規就農した話

時は流れること十年以上前の話、私の知人の親御さんが割と有名な建築関係者でした。息子である私の知人に家督と会社を譲りリタイアするにあたり自宅から1時間程度の立地で家を探しておりました。

想像以上の立地

 

海は挟みましたが高速がもうすぐ開通するといわれている比較的都会までの距離も1時間程度の地域に目をつけ高速インターにほど近い場所に家を建てることになりました。元建築家だけあって庭園内にバーベキューのための四阿があったり、池が滝のごとく流れていたりそれは一般の老後の家屋にしては大きな大きな隠居部屋でした。

美味しい思いは期待できない

 

特筆すべきことは周辺の農地を遺産相続に乗じかなり広範囲に買い求めていたということです。実はこれには幾つか目的があり投資という意味や再開発を見越してなど様々ありましたが、最も大きかった目的は「農家になること」であったのです。

 

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なぜにそこまでして農家になりたかったのかはわかりません。そもそも農家の出身だったのかもしれませんが法的な背景も含めてその親御さんは何から何まで調べ上げた挙句の行動でした。まず、農業をやるには家と農地が必要です。しかもある一定以上の面積が必要でして、それをそろえたとしても農業委員会の認可がなければいけません。JAにも加盟しなくてはなりません。そのハードルたるや土地を買うだけでも数千万、市街化調整区域でも一区画あたり数百万円はしたことでしょう。仮に土地計画の変更を見越して購入したとしてもその土地に土着した上でその後暮らさなければなりません。下手に商売してしまうと後から何を言われるかわかりません。

努力実って

 

それだけの厳しい条件を乗り越えて見事農家に転身したわけです。納屋の中には山盛りのサツマイモ、庭先にはブドウ農園を持ちオンシーズンには観光農園化して集客を行いその活躍たるや今の若者の地方移住の比ではありません。また就農当初は畑も少なかったので近隣の農家に「勉強させてください」と言いながら農業の手伝いに行ったり様々な地元との交流を持ったと言います。

スタッフは

 

またかつての建築関係の会社から定年退職された元部下の方の離れを邸宅内に建設し通常の農作業の担当者として使っていました。ご本人も農業がお好きなようで空いている農地には様々な農作物を「自由に栽培」されていたのを覚えています。

その結果

 

かくしてその親御さんは見事農家に転身した経験を執筆し2冊の本を出版されました。そのご苦労たるや21世紀地方が手招きしてまで移住を推進してくれる時代が夢のような話です。

今は本当にいい時代になりました。農家になるのを地方が推奨してくれるのです。時折こうして20世紀の新規就農事情の厳しさを思い出し物思いに耽ることがあります。

About The Author

代表katoP
katoP(Pはプロデューサーの略)
神奈川県生まれ。
神奈川の県央部の高校を卒業し東京にて大学を卒業。
20世紀を不動産業と金融機関交渉代行を仕事として過ごす。
(主に賃貸と都市銀行との交渉)
21世紀に入り町おこしのプロデューサーを始め、独自メディアの編纂やコストを減らした広報手段等をアドバイスしてきた。
創刊した広報誌の編集長は軒並み2年以内に各都道府県の知事と対談しTVに出演、中には世界規模の活動に成長した組織もある。
このたびその活動を元に日本中で行われる町おこしの実体と検証、また主に学生たちの町おこし活動をまとめ、各地の町おこしの参考実例集を作るべく「ふるさとRe:Boot研究所」を立ち上げた。
各メディア記事と実例を元に、独自の視点でのイノベーションを提案するスタイルにファンも増加中!!

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