ふるさとRe:Boot研究所

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親不孝通り復活!!

約3分
親不孝通り復活!!

福岡のパワースポット?

本日嬉しい情報が入って来ました。福岡県福岡市の親富孝通りの名称が17年前に変更された旧来の「親不孝通り」に戻るとの事です!!本日のツィートでもかなり賑わっておりましたね。

20世紀の思い出

この親不孝通りの創始者とも言えるM氏(あえてイニシャルでご紹介させて頂きます)を知っているものとしては感慨深いものがありました。親富孝通りに変名された後に餃子屋さんをされていたのですね。いろいろなところで紆余曲折のお話を聞いておりましたが、池袋に餃子屋さんを出店された時期の記事が今でも残っておりました。まだ20世紀の頃でしたが真冬でも雪駄で素足のまま東京でも歩き回る姿が強烈なインパクトを持って拝見しておりました。

よく福岡の人が東京の人に親不孝通りを説明する時に「福岡の(博多の)竹下通り」と言っていたのを覚えています。まさに18年前、「親不孝通り」が変名される直前の福岡にて美味い寿司と美味いラーメンを食っていた頃の話です。今思えばあの美味いラーメンは「一蘭」のラーメンでした。当時はまだ普通のラーメン店から経営が立て直されたばかりで一席ごとの仕切等ない、普通のラーメン屋でした。しかし食通ぞろいの福岡県民はやはり美味いラーメンをよくご存知でした。

また今でこそ高級なイメージが定着しつつある姪浜も当時は少し糸島側に行くだけで防砂林だらけの海辺の漁村でした。それでもキレイな海は今と変わらずどこまでも青かったのを記憶しています。

アンケートの結果

さて報道によると地元民を中心に400人にアンケートを行って「親富孝通り」と「親不孝通り」のどちらがいいかとしたころ、なんと71%の280人以上が「親不孝通り」を選んだとの事。今の「親富孝通り」の名称はわずか19%の80人弱しか賛成されなかったと言います。やはり馴染みの深い旧来の名前が良かったのですね。私もその方がしっくり来ると感じています。

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元々は周辺にあった予備校通いの学生がよく彷徨いていて昼間から予備校をサボってラーメンを食べたり麻雀に明け暮れている姿を見て「親不孝」と呼ばれたのが始まりと言われていますが、今思えばとても懐かしい時代でしたね。実際のところ予備校が閉鎖されて以降その賑わいは翳りを見せていました。ラーメン屋さんやバーなど以前のにぎわいが近年だいぶ寂れてしまって来ていたと言われているのでぜひこれをきっかけにかつての賑わいと若者文化の発信の地として甦って欲しいと思います。

About The Author

代表katoP
katoP(Pはプロデューサーの略)
神奈川県生まれ。
神奈川の県央部の高校を卒業し東京にて大学を卒業。
20世紀を不動産業と金融機関交渉代行を仕事として過ごす。
(主に賃貸と都市銀行との交渉)
21世紀に入り町おこしのプロデューサーを始め、独自メディアの編纂やコストを減らした広報手段等をアドバイスしてきた。
創刊した広報誌の編集長は軒並み2年以内に各都道府県の知事と対談しTVに出演、中には世界規模の活動に成長した組織もある。
このたびその活動を元に日本中で行われる町おこしの実体と検証、また主に学生たちの町おこし活動をまとめ、各地の町おこしの参考実例集を作るべく「ふるさとRe:Boot研究所」を立ち上げた。
各メディア記事と実例を元に、独自の視点でのイノベーションを提案するスタイルにファンも増加中!!

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